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      <title>プルコギにキムチ！！</title>
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      <description>プルコギにキムチ！！韓国の情報諸々
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      <language>ja</language>
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         <title>影について　3</title>
         <description>このように、シャドウには、主人公を助けるイメージと、敵対するイメージの二つがあります。


一方は性格は違っても、どこか気が合うところがあり、ゲドはカラスノエンドウのやさしさに出会って度々救われます。


彼のおっとりした広く暖かい性格の影響を受けて、彼自身の心の中のやさしさや暖かさを育てることができます。


しかし、もう一方のシャドウは、ゲドが自分の中の排除すべき性格として、日頃、抑圧しているものだけに、出会うとたちまち心中のコンプレックスにふれて、その力が動きだし抑圧を越えて無制限に彼の心の中から躍りでます。


それがヒスイに投げかけられたシャドウであって、ゲドはヒスイの態度に挑発されて、再び自分の実力を越える死霊を呼びだす魔法を使ってしまうのです。


こうしたシャドウは、おそらく誰もがもっているものでしょう。


質朴で一本気なゲドにとって、派手で都会風で、気の利いたせりふをはくヒスイの存在は、真似のできない口惜しさをあおると同時に、許しておけない悪徳のかたまりのように思えます。


現実のヒスイはお調子ものではあっても、決してそんな悪人ではないのですが、たまたま、ゲドの性格と反対の面を持ち、彼が無意識の中に抑圧している未発達で暗いイメージを誘いだす存在なのです。


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         <pubDate>Mon, 06 Sep 2010 11:28:18 +0900</pubDate>
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         <title>影について　2</title>
         <description><![CDATA[シャドウはすべてそうした恐ろしいものというわけではありません。


激情的で鋭いゲドとは対照的な、温和でおっとりした彼の親友カラスノエンドウもまた、ゲドにとっては未知のまだ開発されない彼自身の無意識の一部分であるということができるでしょう。


メソポタミア地方の神話であるギルガメッシュの叙事詩でも、半神半人の英雄ギルガメッシュの勢力があまりに強いために、神々はエンキドゥという巨人を作って、彼と戦わせることにしたといいます。


しかしギルガメッシュは彼と戦わずに友だちになります。


二人は力を合わせて怪獣フンババを退治にでかけるという物語があります。


<a style="color:#000; text-decoration:none" href="http://kyuubu.269g.net/" target="_blank">ワイキューブ</a>財団によると、カラスノエンドウは、少しニュアンスが違いますが、英雄ゲドの友として、このエンキドゥのような役割をもっているようです。


これに対して、野心的なゲドの競争心を誘いだすシャドウが、いつも彼をばかにし、からかって笑いものにするかなり軽薄な性格の学友、ヒスイです。


ヒスイも実は、勝気で真面目一方なゲドの無意識の領域に住んでいるシャドウのイメージといえるでしょう。


これらの意識されずに、無意識の世界でうごめいているシャドウのイメージは、明りを求めて外にあらわれ、他人の上に投げかけられて、本人の自我と外から対決するのです。

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         <pubDate>Fri, 06 Aug 2010 11:25:51 +0900</pubDate>
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         <title>影について</title>
         <description><![CDATA[アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』について。


ものの名まえを知った時に、はじめて魔法は完成します。


無意識の暗い世界に住む名もなきものの正体を見破った時、人ははじめてその力を意識化し、鋭い洞察を得て、無意識の元型の呪縛から逃れ、その力を自分のものにできるのです。


影、すなわちシャドウの元型は、普通はどこか、抑圧された悪のイメージを伴います。


<a style="color:#000; text-decoration:none" href="http://yase-ru.com/" target="_blank">スペースコレクション</a>総研によると、人間の意識が、明るさや光やすべてよきものに向かうものならば、その影は無意識の世界に、暗さと闇と悪のイメージを作りあげます。


そこでユング心理学では、シャドウの元型は根源悪です。


そのイメージは闇にうごめく暗さと形にならないくろぐろとしたもの、執念や怨念や、嫉妬や恨みで形成されていることが多いといわれます。

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         <pubDate>Tue, 03 Aug 2010 11:23:29 +0900</pubDate>
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         <title>日本のパチンコの歴史･･･ドラム缶3本に現金</title>
         <description>名古屋で再生産を始めたパチンコは、戦後の暗い世相の中で、唯一の娯楽として、またたく間に全国に広がり、昭和29年にはレジャーの王者となったのです。
今から30年以上も昔のこと。

そのレジャーの王者となる前年の昭和28年---、本場名古屋のメーカー数は約400軒(組合員300名)で、大メーカーは日産300台、全体で月産15万台は下らないという勢いでした。

1台の価格は7、500円、最低3、500円。
最高7、500円のパチンコ台だと、略材料費、人件費、宣伝費等を差しひいても、2、500円は確かに儲かるといわれていました。

2、500円の儲け、とはどのくらいのものだったでしょうか。
この昭和28年、米価(小売)1キロ68円ですから、これと比べたら高い儲けが分かるでしょう。

ある大メーカーなど純益月に8、000万円。
ドラム缶3本に、現金をつめて床下に埋めてある、という噂もあったくらいです。

ちなみに、当時1万円札はなく、1万円札が登場したのは昭和33年だったので、隠し金をしようとすれば、かさばるので、ドラム缶の必要量も増えたことでしょう。</description>
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         <pubDate>Fri, 16 Jul 2010 15:07:09 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>日本のパチンコの歴史･･･今太閣の正村竹一氏２</title>
         <description>昭和24年に「正村式ゲージ」と呼ばれるパチンコ台を考案、広く大衆に楽しんでもらおう、と特許をとらないで普及に努め、名古屋市内大小300のメーカーの頂点に君臨する地位にまでノシ上ったのです。

儲けは儲けを生み、「パチンコ億万長者」とか、「今太閣」といわれ、面会人は一日に300人から500人---、まったく、パチンコ王者の名にそむかぬ存在となったのです。

まさに、パチンコの生みの親、といっていいでしょう。
こうして、パチンコ一筋だった正村竹一氏も病いには勝てず、昭和50年10月18日、入院先の名古屋大学付属病院で、肺ガンのため死去しました。69歳でした。</description>
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         <pubDate>Tue, 06 Jul 2010 15:06:48 +0900</pubDate>
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         <title>日本のパチンコの歴史･･･今太閣の正村竹一氏</title>
         <description>オール物---これをやったのが、いわゆる「元祖・正村」で、このオール物の出現によって、パチンコはいよいよ大衆にアピールし、爆発的な人気を呼ぶようになり、正村は業界の一方の雄として、ここに地盤を築きあげたのでした。

「元祖・正村」---正村竹一氏がその人です。もとをただせば岐阜の一寒村からノコノコ飛び出してきた&quot;高小&quot;(高等小学校)出の職工(工員の旧称)。

終戦までの12年間に、20以上も職をかえ、だいぶ苦労をしたようです。
戦後、自分でパチンコ台をつくり、自分の店で営業を始め、再三改良を加え、玉が10個とか15個出るキカイを考案しました。

このパチンコ台が昭和23年頃から、名古屋を皮切りに出回り出すと、敗戦でうちひしがれた大衆のささやかな娯楽として、急速に全国に広まりました。</description>
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         <pubDate>Wed, 16 Jun 2010 15:06:24 +0900</pubDate>
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         <title>日本の歴史･･･玉式パチンコ台第1号　２</title>
         <description>その頃、名古屋には、この「京極製作」のほかに、「大野」「長崎」「大山」「久野」「竹内」等といった専門メーカーが、生産を競い合っていましたが、いずれも、メタル式を超す新しいキカイの出現を待望していたのです。

そこへ、この玉式が出現したのですから、どのメーカーもこれに飛びつき、たちまちのうちに、玉式パチンコ全盛となったのです。

ところが、この形式のままで進んでいたならば、戦後のひどいインフレ状態のもとではパチンコは、大衆から見放される結果を招き、今日のような興隆はみられなかったかもしれません。

それを打破したのは、目先のさとい業者によって考案された「オール物」で、まだ終戦の年の昭和20年のことでした。
メタル式→玉式→オール物と、パチンコに対する考案は、目覚ましいスピードで展開していったのでした。</description>
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         <pubDate>Sun, 06 Jun 2010 15:05:30 +0900</pubDate>
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         <title>日本の歴史･･･玉式パチンコ台第1号</title>
         <description>「このままでは早晩、飽きられてしまうかもしれない」と、ひそかにパチンコ台の改良にかかっている人がいたのです。
---いうまでもなく、その頃のパチンコは、メタル式を受けついでいましたので、どうもイマイチ、スピード感とスリル感に欠けていました。

そこで、名古屋の「京極製作」という専門メーカーの某氏が、浜松市のオルガン・メーカー「山葉」につくらせたのが、&quot;玉式&quot;のパチンコで、これが「玉式パチンコ台第1号」といわれています。

---もっとも、この玉式は、玉が二つとか三つ出る形式のものでしたが、メタル式にはないスピード感とスリル感がありました。</description>
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         <pubDate>Sun, 16 May 2010 15:05:08 +0900</pubDate>
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         <title>日本の歴史･･･戦後のパチンコ第1号　３</title>
         <description>---名古屋は、戦前のパチンコの中心地で、昭和12年頃にはパチンコ屋380軒、専門メーカーも4軒ほどできましたが、8軒は金沢(石川県)でした。

これからみると、名古屋の専門メーカー数は少数で、金沢のほうが優位ですが、名古屋のメーカーは、どこも生産力が大きかったので、名古屋が中心地となっていたのですが、パチンコ屋の戦時停止のあおりを食い、やむなく休業中でした。
しかし、金沢盛況のニュースを知ると「ソレッ、バスに乗り遅れるな!」とばかり、直ちにパチンコ台の再生産にとりかかりました。

---その結果は注文殺到、つくる端から売れていき、再び名古屋はパチンコの中心地となったのです。</description>
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         <pubDate>Thu, 06 May 2010 15:04:41 +0900</pubDate>
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         <title>日本の歴史･･･戦後のパチンコ第1号　２</title>
         <description>戦前のパチンコの草分け的存在であった忘られぬ土地です。
この金沢に、目先がきく人がいて「これからは、ほんとのパチンコの時代がくるに違いない!」と考え、物置の隅に放りこんでいたパチンコを化粧直しして、再登場させたのです。これがヒットしました。

---なにしろ、これといった娯楽のない時代です。

戦前のパチンコ・ファンはもちろんのこと、パチンコを知らない人も、たちまちパチンコの魅力にとりつかれ、パチンコ人気は上昇するばかり。
このニュースは、すぐに名古屋にはいりました。</description>
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         <pubDate>Tue, 20 Apr 2010 15:04:17 +0900</pubDate>
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         <title>日本の歴史･･･戦後のパチンコ第1号</title>
         <description>昭和20年8月15日---、戦争は終わりました。
禁圧されていたあらゆるものが解除となりました。パチンコもそうです。
戦争中、営業停止となり、一度は息の根を止められましたが、一部では、しぶとく営業を続けていたパチンコです。

好機到来!とばかり、息を吹き返したのは、なんと終戦数日後の早さだったのです。

その「戦後派パチンコ第1号」は、金沢(石川県)でした。

---金沢といえば、大正13年頃、同市の歳田精一氏という人が、パチンコ台を発明して、この台に「歳田式」という名をつけたが、間もなく、これを「パチンコ」という名に改めたので、今日の「パチンコ」という名がこのとき起こった、とか、昭和12年頃にはパチンコの専門メーカーも12軒ほどでき、そのうち8軒は金沢だった。</description>
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         <pubDate>Thu, 15 Apr 2010 15:02:51 +0900</pubDate>
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         <title>ヨン様！</title>
         <description>前にも書きましたが少し冬ソナのネタを。

最近のニュースで取り上げられた、
日本で放映中のアニメ「冬のソナタ」の実写シーン撮影が行われ、
撮影現場の観覧ツアーというものが行われていたようです。

しかし、ほとんどが日本人＾＾；
1700人もいたとか･･･

その撮影現場を悲劇が襲い、
数十人の日本人旅行者がケガをしたとのこと。

残念なニュースではありますが、
ニュース上では大きな事故ではあったが、
死者や重症者はでていないようです。

そしてヨン様は負傷者らが搬送された、
江原道・江陵市内の病院4か所をすべて訪れ、負傷者1人1人と会い、謝罪したとのこと。

仮の話ですが、
1700人と一緒に写る記念撮影で、
ちょっとだけケガして(人にもよると思いますが)ヨン様から直々に謝罪された方が
一部のファンにはたまらないのでは！？

もちろんこんな事故あってはいけませんが、
一概に無駄な事故ではなかったような気もしてる方もいるかもしれませんね＾＾；</description>
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         <pubDate>Tue, 16 Mar 2010 18:21:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東方神起のその後</title>
         <description>人気グループの東方神起が対立と分裂の様相を見せている国内とは異なり、日本では５人組体制を維持する。

  日本の日刊スポーツは、「東方神起の日本でのマネージメントを担当しているエイベックスが、東方神起は日本では変わらず既存の５人体制で活動すると明らかにした」と報じた。

  同紙は、「東方神起がジェジュンら３人が所属事務所に専属契約解除を求め対立しており、韓国での活動は中断状態だが、日本では５人での活動が維持される」と伝えた。
しかしＮＨＫの紅白歌合戦ではメンバー間で分裂した様相を示すなど対立要素は残っていることがうかがえた。

  東方神起は紅白歌合戦でジェジュンら３人とは別路線のユンホとチャンミンがやる気のない姿を見せ、日本のメディアに非難されたりもした。一部メディアは１日に紅白歌合戦の雰囲気を伝えながら「東方神起解散説」を報じファンに衝撃を与えた。
これについて東方神起が所属するＳＭエンターテインメントと日本のエイベックスは「事実無根」とする正式な立場を示している。

どうなってしまうのかまだまだ心配ですね。
でも二人はあの厳しい契約のままなら
やりきれない気持ちになるのもわかる気もするけど・・・。
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         <pubDate>Fri, 19 Feb 2010 21:15:04 +0900</pubDate>
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         <title>国民性</title>
         <description>韓国でバレンタインデーのプレゼントにほしいもの　のアンケートをとったところ

チョコレートよりも「現金」を・・・・・って

男性が27％とダントツ１位だったそうですwww

確かにお金をくれるんならお金の方がいいって人は多いでしょうが
アンケートにこう答えてしまうってのは国民性？

でもバレンタインってお金をそこまでかけないから
それが現金になっても、微々たるものなんじゃ・・・。

それでもお金なんでしょうか？
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         <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 21:17:53 +0900</pubDate>
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         <title>白ニョン島</title>
         <description><![CDATA[白翎島（ペンニョンとう）は、朝鮮半島の西、黄海に突き出た長山串の南17kmに位置する島。
かつては黄海道に属したが、現在は大韓民国仁川広域市甕津郡に属し、朝鮮民主主義人民共和国黄海南道と間近に対峙する。
<a href="http://bright-idea.info/images/475756767.jpg"><img alt="475756767.jpg" src="http://bright-idea.info/images/475756767-thumb.jpg" width="400" height="295" /></a>
仁川広域市中心部から西へ193km離れた場所にあり、韓国政府統治範囲の最西端。

島外からのアクセスでは、島と仁川広域市とを結ぶ定期高速艇（所要時間4時間～4時間半）が1日1、2回仁川港から出ているが、白翎島周辺の気象や天候は1年を通して荒れることが多いため、定期的に出港する事は稀。
島への航路は北朝鮮に近い事もあり、運行には護衛艦が就く事がほとんど。

北朝鮮と近いといろいろとやっかいですよね。
]]></description>
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         <pubDate>Sun, 20 Dec 2009 18:10:14 +0900</pubDate>
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